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自然に近づくこと
punk
『つくることいきること』
なんだかぼちぼちと生きています。
なんだかぼちぼちとつくっています。
これは*amulet*(お守り、護符、厄よけ、魔除け)づくりの途中です。
自分だけのお守りを入れるための小さな袋です。首から下げれるようにします。
ちなみに自分用のものには琥珀と菩提樹の実を入れています。↓
ちくちくちくちく一針の進みは小さいけども確実に形になっていくようです。
どこまでやったら完成なのかは感性次第。
人生も一歩一歩の歩みは小さいのでしょう。
だけども確実にその歩みが形となります。それがよい形なのかよくない形なのかはわからないけど、自分にとってよい形となればいいですね。
大げさかもしれないけど結局はつくることも生きることも同じ軸が必要なのでしょう。
それは自分の感性を大切にするべきということです。
大切
何を入れようかなと考えるのが面白い巾着袋です。
外見は歪んだりしていても、大切なものは中身とその裏側の物語にあるのです。
美しい外見に囚われてうっとりしている人々よ。いまある外見的な美しさは無常です。
人々は、美しさが全てと心を乱し焦り、美しさで争い、美しさに妬み憎しみ、美しさで身を滅ぼす。
それはエゴという人間の醜さなのだよ。 歪み汚れ、でも他と調和している。それが自然。
美しさとはそんな自然の中にこそあるのだよ。
ショーケースの中よりも、青く広がる空を見上げたほうが気持ちいい。
高いビルの展望台よりも、自力で山に登って見る景色のほうが心は満たされる。
僕はそう思う。
二極の世界に生きること。
上手くいくこと、上手くいかないこと。
好き、嫌い。
得意なこと、不得意なこと。
良い、悪い。
この世は二極に分けられている。
何かをやるなら、上手くいかないよりかは上手くいったほうがよい。
嫌いなものよりも好きなものに囲まれていたい。
不得意なものよりも、得意なものが多い方がよい。
悪いことよりも良いことが多い方がよい。
二極に分けられた世界では、優劣というジャッジが行われる。
しかしどちらが良くて、どちらが良くないかは世間が決めることではなく、自らが決めるものだと思う。
いや、そもそもジャッジがあること自体、行われること自体が違うのかもしれない。
ジャッジを超えてその先にあるものは、ただ行為をするということ。
結果だけをみた時に、ジャッジする心が芽生えてしまう。
それならば、結果をみることなく、今この瞬間の行為だけに心を込めればジャッジする心は起こらない。
結果とは自ずと訪れるもの。
しかしだからといって適当な行為ではなく、良い結果を生みだすための努力はするべき。
その努力とは、知識を貯えることだと僕は考えている。
それは学問というよりも、技術や生き方としての知識。
知識を貯えたのなら、あとは行為をするのみ。
もしくは知識を貯えながら行為する。
その行為にこそ結果は既に含まれているのだから。
そのひとつの作業の中にすでに結果が含まれている。