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遊ぶこと、祈ること。
インドのサンスクリット語で”leela(リーラ)”という言葉があります。
リーラとは、神々の遊びや戯れというような意味だそうです。
この宇宙に起こる全ての事、現象や事象は全てリーラであると・・・
つまり、全てが遊びとして起こっている以上、起こる全てにそんなに大した意味合いはないんだよと、
だからシリアスになりすぎずにね、結果に執着しないでね、過剰に期待ばっかりして生きていくよりも、
起こること起こることを、ただ「ああ、そうか」とやり過ごせばいいだけなんだよと、だって遊びの世界なんだから。
瞬間瞬間の行為にだけ意識を向けていたらいいんだよ、それが全ての真実だから。
今やるべきことを考えるよりも、今やりたいことをする。
やっていることだけに集中して、その行為とひとつになることがいわゆる瞑想状態。
瞑想状態は変性意識の状態。
変性意識とは、トランス状態のこと。
何かに無心で没頭したとき、ただ無心に祈るとき、人はトランス状態になる・・・
全力で遊んでいる子供は、ちょっと半狂乱状態(笑)・・・トランス状態だと思う。
だけどそれは純粋無垢に全力を注いで行為しているから。
英語で、「遊ぶ」は"PLAY" 「祈る」は"PRAY"
遊ぶことって全力で無心で、時間を忘れて没頭するもの・・・
祈ることって全力で無心で、脇目もふらずに没頭するもの・・・
遊ぶことと祈ることって、とてもよく似ている。
だから子供は”悟っている”とよく言われる。
大人になると、自分が悟っていたことなんて忘れてしまう・・・
そして大人になると、一部の人は悟りに憧れ、もっともっとと知識を増やそうとする。
でも違うのです・・・なぜなら、悟りとは思い出すものだから・・・
でも得た知識は無駄ではなく、悟りを思い出すためのヒントとなるのでしょうね。
人生は短いものだろうと思います。
短い人生ならば、シリアスになりすぎて眉間にシワを寄せて過ごすよりも、自由に遊ぶように笑いながら過ごしたいものです。
僕の人生で無心になれる行為のひとつは、ものをつくるということ・・・それは遊びであり、祈りです。
だから、今日も神々の遊びと戯れの中で無心に手を動かしていたいと思うのです。