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モザイク
いきなりだが、僕はこの世界はモザイクだと思っている。
モザイクとは寄せ集めのこと。
つまり、この世界は寄せ集めで出来上がっているのだ。
「部分と全体」
部分がたくさん集まって、複雑な全体が生まれる。
モザイクとは部分でありつつ、全体でもあるということ。
ひとつひとつの部分だけでは意味をなさなかったものも、集合して全体となることで意味を持ち始める。
全体の中に部分があり、部分が集まらないと全体にはならない。
わたしたち人間は、悲しいかな一人だけでは何も出来ないちっぽけなものかも知れない。
しかし、一人一人の集まりである社会という全体性の中では、とっても大きな(良い)結果を出すことが出来る。
(それが社会の構造であり、生産性を高めるために必要なことであり、会社であり、組織であり、グループである)
(良い)結果とは、そこにやる(働く)意味を見いだしていくこと。(良い)結果があるからこそ、やる(働く)意味があるのかもしれない。
しかし、よく考えてみると、結果とは原因の先に起こることであって、意味があろうがなかろうが、結果なのである。
つまり、結果とは「良くも悪くも」という言葉が前につくはずなのである。
その、”良くも悪くも結果”ということがしっくりこない方もいらっしゃるでしょうね。
なぜかというと、「結果は良いものをださないとダメ!」という洗脳をされている方が多いからではないかなと・・・
良い結果が出れば、それはそれは喜ばしいことでしょう。
しかし、いままで生きてきて、喜ばしい結果だけをたっぷりと味わった人は、そう多くはないのではないかなと思います。
それはなぜか?
結果を生み出すための努力が足りなかったからか?
単に自分の力がまだまだ及ばなかったからか?
自分よりも力を持つものが周りにいて、競争に負けてしまったからか?
いや、違う。と僕は考えます。
結果とは、良くも悪くもそのようになるのが自然だからです。
結果を良い悪いと判断しているのは、社会や世間の評価や価値基準です。
では僕の考える結果とは・・・
それは、
自然の流れの中で、自然と生まれ起こってきた出来事が、僕の考える結果です。
自然の結果には、人間の価値基準は全く意味がありません。
自然の結果には、従うしかないのです。
厳密に言うと、従うというよりも受け入れて、認めること。
様々なものが混ざり合い、カオスのように見えつつも、秩序が保たれた自然。
部分だけでは存在できず、様々な動植物や環境の関連性や働きかけの中で全体としての自然は動き変化する。
そこここで起こる自然の動きと働き。
そのような自然にいちいち文句を言って、なんとかしようとしても人間の力なんて、到底及ばない。
人間の価値基準は自然には何の意味もないもの。
人間の価値基準や判断なんて、一瞬で打ち砕かれる。
私たちの生きるこの世界はモザイク。
バラバラだったものが集まり、ひとつの作品となる。
しかし、全体を形成している要素は、部分であることを忘れてはいけない。
全体はいつか、もとの部分へと戻っていく。
人間に都合の良い結果だけが起こるはずはないのだ。
だからといって、不都合な結果だけが起こるはずもないのだ。
それが自然であり、それが真実なのだ。
昔に描いた絵